ライブラリー見学会のご案内


 来年のことになりますが、つづき図書館ファン倶楽部でライブラリー見学会を行います。
 日時、見学先は次のとおりです。

 1月16日(土) 集合:地下鉄弘明寺駅、9時30分
  見学1「本とお茶とときどき草径庵」
   http://soukeian.blog.fc2.com/blog-category-1.html
  見学2「横浜美術館美術情報センター」
   http://yokohama.art.museum/research/center/
  修了、15時(予定)

 草径庵さんは最近オープンしたまちライブラリーで、週末の金曜と土曜に開館しています。見学のきっかけは、先月、夢ラボ・図書館ネットワークの安木さんが都筑図書館の取材に来られ、たまたま同じ日に行っていた20周年記念事業実行委員会にも同席されました。そこでご自宅でまちライブラリーをやっていることをうかがったことからです。
 10月17日に都筑図書館20周年記念行事の一環でまちライブラリーをテーマにしたフォーラムを行ったばかりだったので、これはぜひともリアルな場を見に行きたいという話しになりました。
 もうひとつの横浜美術館美術情報センター。こちらもひとつの出会いからです。11月11日に行われた「神奈川の図書館を考えるつどい」でライブラリー担当のYさんが美術情報センターの概要を報告されました。20周年記念事業実行委員会でその集会に出席した福富さんがその話をされました。美術関連図書や映像資料がとても充実したライブラリーということです。美術館にはときどき行っても美術情報センターにはほとんど行くことがないので、一度みちんと見てみたいといった話になりました。
 幸い両ライブラリーとも見学の申し出をを快く受けれていただけることになりました。偶然の出会いからつながったちょっとユニークなライブラリーの見学、楽しみです。
 会員でない方も参加歓迎です。申し込み・問い合わせは下記若杉までお願いします。
 携帯:080−6739−1139
 メール:wakasugi@c06.itscom.net

文化の日(11/3)都筑のまん中文化施設の予定地で叫んでみませんか? で発言


 横浜市都筑区の港北ニュータウンの真ん中センター北にそこだけポカンと空いたけっこう広い土地があります。きれいに整備されたニュータウンの中でここだけまるで異空間という感じです。開発当初は文化ホールが建設される予定だったものの、財政上の理由からか20年近く放置されたままになっています。
 行政が動かないなか、文化活動を地域で続ける区民たちは夢スタジオという仮の施設をつくり、細々と音楽や演劇活動を行っています。夢スタジオとはいうものの、その狭さ、安直なつくりは、言葉は悪いですが、ほとんどバラック同然です。
 今月11月3日にこの夢スタジオで「文化の日都筑のまん中文化施設の予定地で叫んでみませんか」というイベントが行われました。夢スタジオをベースに表現活動を行っているグループ、文化施設の建設整備を望む区民約100人が狭い建物を埋め、それぞれの想いをアピール、発言し、狭いスタジオは熱気につつまれました。
 つづき図書館ファン倶楽部は当初からこのイベントの実行団体に加わり、文化施設の早期建設とそこに図書館を併設することを求めています。当日は私が代表して発言しました。当日の発言原稿を掲載します。実際の発言内容は時間の関係ではしょったところもありますがおおむね同じです。

#以下、当日の発言

はじめに

こんばんは。つづき図書館ファン倶楽部の代表をしております若杉と言います。
 つづき図書館ファン倶楽部は2000年に行われた都筑図書館の開館5周年記念のイベントに参加した区民サポーター有志が結成、準備会を経て2003年に正式発足しました。誕生から13年、都筑図書館をベースに絵本の読み聞かせなどのイベントの協力や市民の立場から図書館のPR活動をしている図書館の応援団です。
そして私たちは図書館との協働事業だけでなく図書館の充実、読書環境の整備にも関心をもち取り組んでいます。

都筑図書館は横浜一

 みなさん、ご存じのように都筑区は緑道がきれいに整備されているとか、野菜の生産が多い、あるいは年齢層が若いとか自慢できることがたくさんあります。実は図書館も自慢できることのひとつなんです。都筑図書館の2011年度貸出冊数は100万冊を超え、109万冊で、市立図書館の1位です。野毛の中央図書館も100万冊を超えてます、104万冊、あのスケールの中央図書館よりも多く、地域図書館ではダントツの利用です。都筑の次は山内でぐっと減って69万冊です。

横浜は図書館砂漠

 それでは横浜市の図書館レベルは高いのかいうと、日本全体からみると事情はかなり異なります。むしろ真逆に横浜の図書館は貧しく、日本の図書館の水準を引き下げているのです。
 都筑図書館の利用が多く活発ということは、人口20万人に対し図書館が1館しかないこともその理由のひとつです。横浜市は1区に1館という制度になっており、人口370万人に対し18館しかありません。全国的に見ると人口4万人に1館の図書館があります。全国並みに整備するとなると都筑区にはあと4つの図書館が必要ということなります。隣の川崎市は今年東横線武蔵小杉駅直結のマンションの2つのフロアを占める規模の大きい中原図書館をオープンしました。北隣の町田市は昨年鶴川駅の近くに和光大学ポプリホールという文化ホールもある複合施設がオープンしました。その中に鶴川駅前図書館が出来ました。市が作った文化施設なのになんで和光大学という名前が冠されているかというとネーミングライツという公募があって和光大学が運営費の一部を拠出しているのです。町田市と地元の大学が協働しているわけです。ここ横浜で最後に図書館が建設されたのは緑図書館とここ都筑図書館です。いまから18年前の1995年です。そこで横浜の図書館政策は止まっているのです。20年近くも。
 横浜とよく比較される神戸市は人口154万人に対し11館あります。川崎市も神戸市も1区1館ではありません。人口の多い区には分館など複数の図書館を設置しています。どこの市も財政的には厳しいと思うのですがそれなりに図書館を整備しているのです。
 今政令指定都市は全国に20あります。図書館1館あたりの人口では横浜は下から2番目です。下は熊本だけです。都筑図書館の利用が多いのは一面誇りでもあるのですが、実は行政が市民ニーズに追いついていないという意味で恥ずかしいことでもあるわけです。
 地区センターがあるではないかと思われるかもしれません。たしかに各地区センターには図書コーナーがあり、そこそこの本が置いてあります。しかし地区センターは組織上図書館とはまったくつながっておらずスタンドアローンのまさにコーナーでしかないのです。青葉区では地区センターで山内図書館の本の受け取りや返却ができますが、都筑ではそれもできません。
 かつて「ゆめはま2010プラン」という市の総合政策がありました。それには市内に26館の図書館を整備する、地区センター図書室は市立図書館とネットワークを組む、といったことが挙げられていました。が、それはいまだに夢のまま。事実上立ち消えになっています。
 もうひとつ落ち込む話をします。今全国的に図書館の貸出冊数が減少傾向にあります。ここ横浜でも同様です。携帯の普及とか様々な要因があろうかと思いますが、私は大きな要因として図書資料購入費の長年にわたる減額が大きいと思います。図書館に新しく魅力ある本が無い、少ない、これでは図書館にリピートする意欲が減少します。おそらくみなさんも都筑図書館でここ数年の書架の寂しさを感じていることと思います。この図書館資料費も実は横浜は政令市で最下位のひとつ上19位なのです。最下位は札幌です。横浜の市民1人当たりの2010年度決算は63円、政令市の平均は139円です。10年前と比較すると横浜は149円から63円に、実に半分以上の減額です。政令市平均は153円から139円に、これも減少してますが1割ほどです。横浜ほど悲惨ではありません。2000年の時点では横浜もほぼ平均だったのがその後の落ち込みが激し過ぎます。全国平均は213円です。横浜の3倍以上です。横浜は文化都市のイメージがありますが、こと図書館に関しては残念ながら非文化都市です。たしかに財政難はありましょうが、図書館の位置づけが弱過ぎると思わざるをえません。

図書館は知の広場

 数字と暗い話が続きましたのですこし戻します。
 今の話は決して都筑図書館をおとしめているわけではありません。いつも活気があって明るく、開放的、老若男女誰でもいつでもwelcome、長い時間いても無料、とりたてて目的がなくとも受け入れてくれる。私も年金生活ですのでとても助かってます。図書館をおいてこういう公共施設はほかにありません。書架を歩けばワクワクする楽しい本、先人の知恵がつまった本と出合える。とてもすてきで得難い空間です。図書館の司書さんはみなさん意欲的で能力レベルが高いです。少ない職員数でほんとによくがんばっていると思います。
 今全国各地に魅力的な図書館が生まれています。川崎に新しくできた中原図書館は本や雑誌を広げながらゆったりとくつろげる広さがあり、専用のお話のへやや市民の展示などに幅広く使える多目的室もあります。東京の武蔵野プレイス図書館は600種もの雑誌がそろっていてカフェでコーヒーを飲みながら読むことができ、ギャラリーでは市民が自分たちの作品の展示などができます。スタジオもあります。若者たちがダンスやおしゃべりをしている仕切りのこちら側では本を読んだり、勉強している。居心地のいいとても落ち着く、居場所をイメージしたすてきな図書館です。仙台や宝塚にはアートやメディアに特化したライブラリーもあります。
 図書館はもちろん一人でも楽しめますが、人と出会える場でもあります。最近の図書館の傾向としてよく知の広場ということがいわれます。図書館はほかの機能と共存でき親和性があると思っています。武蔵野プレイスもそう、町田の鶴川駅前図書館もそうです。図書館は人が自然に集う広場であり、公共スペースのコアとして、まちづくりの拠点のひとつとして欠かせない存在でありうると思いまし、そういう方向にすすんでいくことを願っています。

市民の協働で都筑らしい公共文化施設

 先ほどは横浜市の図書館行政のたち遅れを話しました。暗い面ばかりではもちろんありません。今年の5月に議員提案により横浜市民の読書活動の推進に関する条例が制定されました。来年4月に施行されます。市民の読書環境を整えるために市、学校、地域が連携して取り組んでいこうという内容です。また、今年から市内の小中学校に長年の念願だった学校司書の配置が始まりました。3年後には市内の全小中学校に学校司書が配置されます。学校で読書習慣を身に付けた子供たちを次に地域で受け入れるのは公共図書館です。
 林市長は教育環境の充実を掲げ、子育て支援、高齢化への対応を課題としています。この行政課題にも図書館はストレートにリンクできる可能性を持った文化施設です。
 ここにきてようやく横浜の図書館が動き出したというのが実感です。都筑でも夢スタからこうした市の動きに連繋し、市民と行政の協働で、活きる力を育む図書館づくり、地域活動の盛んな都筑らしいまちづくりの核となる公共文化施設づくりに私どもつづき図書館ファンクラブも参画していきたいと思います。
 どうもありがとうございました。

#ここまで

ビブリオバトルinつづき@2013Early Autumn開催

今日は、先日7日に都筑図書館で行ったビブリオバトルについて書きます。

このイベントは都筑図書館と都筑図書館から未来を描く協働の会という長ーい名前の会の共催で行いました。私は長ーい名前の会、略してTMEKといいますが、それに参加しているつづき図書館ファン倶楽部のメンバーとして当日の司会を担当しました。

ビブリオバトルは、本の好きな人が集まっておすすめの本を紹介しあい、みんなで読みたくなった本に投票するゲーム形式のプレゼンバトルです。プレゼンは5分きっかり、その後2〜3分の質疑を行うなど公式ルールが普及委員会により決められています。なんとアノ図書館総合展のLiburary of the Year2012で最優秀賞を受賞したという由緒タダシイイベントなのです。発祥の関西の大学ではむろんのこと、今や全国の公共図書館や大学、学校図書館のみならず書店や喫茶店、古民家など人の集まるいろんな場で行われています。都筑区でも民家園やハウスクエアですでに行われたそうです。区内初がとれなかったのは少し残念ですが、区内の公共施設では初、市内の区立図書館でも初、それにTMEKの大人向けイベントとしても初という記念すべき日となりました。

当日は6人の方がバトラー(発表者)として登壇してくださいました。実は直前までPR不足とビブリオバトルそのものが理解されてなかったせいか、バトラーがなかなか集まらず、主催メンバーで知人、友人に直接依頼したりしてなんとか面子をそろえたというのが実情。観覧者の事前申込は予定の20名には届かなかったものの、当日参加者もあり、なんとか形になりました。

バトラーの方々からはそれぞれのライフスタイルを表した本がプレゼンされました。みなさんはじめてとおっしゃいましたが、なかなかどうして、想いのこもったいいプレゼンをしてくださいました。そしてなんとなんとこの日のチャンプ本は同じ票数で3冊選ばれました。これには司会の私も少しあわてました。図書館長さんが表彰状を用意してくださっていたのですがもちろん1枚。3人の方で円満に決めていただいた方に代表して無事表彰式も行い、ほかの2人には後で賞状をお渡しすることにしました。チャンプ本は『特急お弁当号』『つながり』『12人のやさしい書店員』でした

都筑図書館から未来を描く協働の会(TMEK)発足

 昨年の12月、「都筑図書館から未来を描く協働の会」が発足しました。この会はひらたくいうと都筑図書館の応援団です。区民と図書館が同じテーブルで、協働し、図書館や本の楽しさ、力をひろげ、さらには、地域の文化、まちづくりの推進を視野におきながら、ゆたかな都筑の未来を描いていくことを目的としています。都筑区において区民と図書館との協働のステージが飛躍した画期的なできごとといえましょう。

 参加しているのはつづき図書館ファン倶楽部、つづきっこ読書応援団、つづきアーカイブ倶楽部、つづき交流数ステーションの4団体です。会長は図書館ファン倶楽部の私、都筑図書館長が副会長、事務局は図書館のスタッフです。

 この会が発足する以前の都筑図書館と区民との協働事業は、つづき図書館ファン倶楽部1団体が窓口となって行ってきました。そもそもの元をたどれば2000年3月に都筑区制5周年記念として都筑図書館が行った記念シンポジウムにさかのぼるそうです。そのころは私は緑区民だったので聞きかじりですが。その時図書館からのよびかけに応えて参加した市民有志が準備会を結成し、2003年に正式につづき図書館ファン倶楽部が発足。それ以来都筑図書館とつづき図書館ファン倶楽部は協働の取り組みを継続してきました。「生まれも育ちも協働です」とはつづき図書館ファン倶楽部のキーワードであり、目標でもあります。今回の協働の場に参加する区民の輪をひろげることも図書館からの提案でした。もとよりファンクラブ側に異議のあるべくもなく、約1年にわたる協議と働き掛けを通じ、先に紹介した4団体の参加を得てリニュアルスタートにいたったわけです。

 会の名称はこれまで略して「協働の会」といってきました。これを横文字で表現できないか、と年末年始ずっと考えてきました。結果、ひとつの私案ができました。都筑図書館のT、未来のM、描くのE、協働のK、続けるとTMEK(ティーメック)。協働のキモは協力(K)と提案(T)、お金は無いけど活力(E=エネルギー)でムーブメント(M)をがんばる。

 まず「提案」。こんな図書館になってほしい、図書館はこういうサービスができないか、といった区民、利用者からの提案はむろんのこと、図書館側からも市民にこういう企画はどうか、こういうことに協力してほしいといった提案は当然あっていい。市民は言う側、行政は受ける側といった一方通行ではなく同じテーブルで議論する、そして「協力」してことにあたる、これが協働のキモであると思います。もちろん行政には独自の権限があり、市民にはる行政的権限はないけど民間力がある。それぞれを尊重しあいながら、同じテーブルで議論し、行動することが重要だと思うわけです。

 図書館法では市民参加の機関として図書館協議会が規程されています。しかし横浜市には図書館協議会はありません。図書館ファン倶楽部ではきちんと図書館協議会を置くべきだと折にふれ主張し、働きかけもしてきました。しかし現状では残念ながらその声は市政に反映されていません。TMEKは行政的にはなんの権限を持っていません。都筑区ローカルの区民参加のひとつの場にすぎません。現在ほかの区でも、お話会や図書修理などのボランティア活動が有志、あるいは、友の会によって行われているところはあります。が、都筑のような形で協働のとりくみは行われていません。都筑の取り組みは横浜市の図書館行政からみればごく小さなとりくみですが、私たちはこの会を大切にしたいと思います。そして声をかけていただき、受け入れてくださる都筑図書館を応援していきたいと思います。TMEKの活動がひろく都筑、横浜全市にひろがり、横浜の図書館が充実していくことを願っています。

二兎社「シングルマザーズ」

先月末、池袋の東京芸術劇場小ホールへ二兎社の「シングルマザーズ」をカミサンと観に行った。二兎社、永井愛さんの演劇はよく見にいってます、はずれがないから。それと世田谷パブリックシアターでやることが多く、家からの足の便もいい。今回はちょっと遠いけど切符がとれた(といっても私ではなくもっぱら申し込みはカミサンです)ので出かけました。おもしろかった〜。
私は劇や映画を観た後、本を読んだ後手帳に記録しておきます。備忘録なのですが、その時勝手にランクをABCとメモします。Aはおもしろった、Bは普通、Cはがっかり。
今回ももちろんA。出演者がみな芸達者。根岸季衣沢口靖子らのシングルマザー、吉田栄作はDVで妻と離婚し訴訟中。枝元萌、オーディションで選ばれたという玄覚悠子も元気でよかった。
なによりかにより沢口靖子さんがキレイでした。前から3列目で見たナマ沢口、まぶしかった。テレビ「科捜研の女」などではちょっと固いイメージがあるけど、けっこうコミカルなこなしもうまい。開演前、休憩時にロビーで見た永井愛さんもかわいかった(失礼)。
中身はけっこうシリアスな劇です。「男がワーキングプアーになったからといってさわいでいるけど、シングルマザーはずうっとずう〜っとワーキングプアだった」。そうなんだ、この国は男社会だった。私も毒されている。
永井愛の劇はいつもやさしい、テーマは重くともどこかにほっとぬけるところがある、救いがある、なんだろうか、人に対する信頼がベースにあるのでしょうか。見終わった後は少しのウルウルとすがしさ。同じ時代に生まれてよかった(これって中島みゆき?)。

『さいれん』復刻版刊行記念祝賀会

 1月29日、熊本学園大学水俣学研究センター主催で、『さいれん』復刻版刊行記念祝賀会が水俣市で開かれました。
 『さいれん』というのは水俣病の原因企業であるチッソの企業内組合、新日本窒素労働組合の機関紙です。戦後のレッドパージを経て安定賃金闘争を闘い、水俣病と向き合ったこの組合の活動記録は労働運動史のみでなく、社会史、水俣病事件史の観点からも重要な資料といえます。戦後の単組の機関紙がこのような形で復刻刊行されるのはおそらく初めてのことではないでしょうか。
http://www3.kumagaku.ac.jp/minamata/topics/index.php?id=t4d11a7d700ce3&p=1
 私は、この会に招かれ「労働組合資料の保存の意義と課題」のお題で講演を依頼されました。折から数日前からの新燃岳の噴火により航空便が心配でしたが、熊本空港には若干の遅れはあったけどほぼ順調に到着。そこから水俣まではバス、リレー新幹線と乗り継ぎ。意外と遠い。そうか、水俣熊本県南部、すこし行くともう鹿児島県。
 会場は地元のしにせ料理屋といった感じのあらせ会館。中に入ってちょっとびっくり。照明はシャンデリア、会場いっぱいの丸テーブルにはすでにコップがセットされている。そう、ほとんど結婚式モード。聞けばこの会場で結婚式がたびたびおこなわれているとのことです。水俣学研究センターの方や新日窒労組OBの方々による内輪のお祝い会をイメージしていたのですが、熊本学園大学の学長さん、水俣市の副市長さんもご列席、もちろん新日窒労組はじめ地元水俣の労組OB、OG、関係者の方々など100名ほどで会場はいっぱい。このシチュエーションでどういった講演をすればいいのだ〜、すこしあせりましたがもう遅い。
 1部は来賓のあいさつ、そして私の講演。拙い講演は省略。2部は祝賀会。おまたせの乾杯のあとは、地元で労組とゆかりの方々による楽器演奏、踊り、歌。おおいに盛り上がる。なんか東京や横浜とはノリが違うな〜。スピーチは『さいれん』に連なる方々のお話、おはなし。体調の悪い中この会場に駆け付けてこられた方も。みなさんいろんな想いでこの組合活動に、闘争に関わられたんですね。みんなの想いを今日水俣学研究センターが結びつけた。会の締めくくりはみんなで腕を組み「が〜んば〜ろう」。私もン十年前にタイムスリップ。
 翌日は水俣学研究センターの井上さん、花田さんのご案内で水俣をひと巡り。水俣市水俣病資料館、チッソと関連企業の工場、埋め立てられた汚染地、今も患者さんが療養している地区など。チッソは「水俣駅」から直でつながっている、というよりチッソが先でそれにあわせて鉄道が敷設されたとのこと。企業城下町、企業と自治体の深いつながり、そして、今も解決していない水俣病。この街で巨大企業に正面から向き合った労働者たちがいた。
 水俣学現地研究センターでは整理中の新日窒労組資料をみせていただきました。膨大な写真フィルムもありました。ほとんどプロはだしの技術だそうです。三池もそうですが、この新日窒労組も文化活動が旺盛に展開されていたようです。それが『サイレン』の資料価値を高めています。資料の整理は労組OBの方々の協力を得てすすめており、まだまだ先の長い仕事になるそうです。
 その日は鹿児島でもう1泊。鹿児島は雪でした。翌日鹿児島空港へ。なんと空港は霧島市にあって新燃岳は空港の間近、この日はもくもくと白い灰を吹き上げていました。
 水俣、灰、雪。濃密なときをすごした旅行でした。井上さん、花田先生、みなさま、ありがとうございました。
 今年の秋また行きます。

別所温泉で「山本宣治記念碑」を発見

 この正月休みに信州の別所温泉に行ってきました。別所は久しぶり、これまで2度ほど行ってます。今回は三が日をはずしたせいか人気の宿柏屋別荘がとれました。
 早くに着いたのでまずは温泉街の散策。ここでおもいがけない発見をしました。常楽寺から安楽寺に行く途中、塩田平が見渡せる小高い丘に、なんと、「山本宣治記念碑」があるではありませんか。山本宣治、通称「山宣」は京都の生まれ、生物学者で、産児制限運動から労働運動にも関わるようになり、1928年の第1回普通選挙労働農民党から立候補し代議士になった人。当時の帝国議会にあってひとり治安維持法の改悪に反対の論陣をはった気骨の社会運動家です。当選した翌年に右翼のテロにより刺殺されます。生まれ、活動の拠点だった京都、あるいは、殺された東京ならまだしも、なんで、この信州の観光地に山宣の碑が??
 碑の周りはきれいに整備されており、懇切な説明も記されています。
 山宣と別所とを結びつけたのは高倉輝でした。高地出身の文学者、戦後共産党に入党し代議士となった人です。私的には作家「タカクラ・テル」がなじみがありました。ずいぶん前に『箱根用水』などを読んだ記憶が蘇りました。高倉輝が別所に来たのは1921年。京都大学の同窓だった土田杏村らが創設した信濃自由大学の運営や講師にと誘われてのことでした。高倉の別所での住まいは柏屋別荘の主だった斎藤房雄が提供しました。ここで高倉はやがて農民運動と深く関わるようになります。
 山宣が別所に来たのは1929年3月1日、上田で開かれた上小農民組合連合会の第2回総会でのことです。当時目覚ましい活動をしていた山宣の話をぜひ聴きたいと、農民たちが高倉に依頼し迎えることになったのです。高倉の妻つうは山宣の従妹でもありました。演説の前日には別所の高倉の居に1泊しています。山宣が東京神田の旅館で右翼七生義団黒田保久二に虐殺されるのはそのわずか4日後、3月5日のことでした。
 山宣虐殺の報に接した上小農民組合連合会の面々は緊急役員会を開き、追悼会を開催。ここで山宣最後の演説会となったことを記念し石碑を建立することを決議します。官憲の圧力もあって建立は難航しましたが、最終的に斎藤房雄の所有地に碑は建てられました。大原社研には東京で行われた労農葬の実写映像を所蔵しています。官憲に取り囲まれた中を葬儀の行列がいくというけっこうすさまじい映像です。高倉輝も棺を担ぐ人の中いたとのことを今回初めて知りました。
http://hwm5.spaaqs.ne.jp/twaka/shiryo/yamasen.html
 その後1932年、やがて軍部の力がさらに強まる中で2・4事件(長野教員赤化事件)が起き、共産党員とそのシンパが大検挙されます。この検挙に伴って警察は碑を粉砕するよう迫りました。しかしすでに高倉はじめ全農の幹部らはみな拘留中。この命令を受けたのは地主の斎藤房雄でした。ためらった斎藤は意を決してある夜、碑を自宅に運び、正面玄関の泉水のへりに裏返して埋め、警察には粉砕完了の届を出します。斎藤のこの機転により碑は守られたのです。
 山宣の遺徳をしのぶ人々によりこの碑が再び蘇ったのは1971年のこと。建碑、除幕式は山宣の次女美代子、高倉輝、谷口善太郎らを迎え盛大に開かれました。その時斎藤房雄へは感謝状が贈られました。今は長野山宣会の方々がこの碑を守っているということです。
 碑が長く埋められていた柏屋別荘の正面玄関わきには「山本宣治記念碑保存地跡」と書かれた木の札がひっそりと立って来客を迎えてくれます。立身出世した偉人ではなく、自由と平等に生涯をささげた社会運動家の事跡を後世に伝えるモニュメントに込められた多くの人々の想い、そして、それを支える塩田平の風土に出会えて、とてもすがすがしい年明けとなりました。もちろん温泉も料理も大満足でした。
 (参考 『信州の鎌倉別所温泉―歴史と文化』、上田小県金近現代史研究会編刊)